モスクワ国際バレエコンクール 2017
また、長いこと書くことが出来ずにいましたが、
今回ばかりは書かずにいられません!
開催からだいぶ時間が経ってしまいましたが、
待ちに待った、モスクワ国際バレエコンクール シニアの部 最終日、行ってきました。
このコンクールは、4年に1度開催されます。
そして、最終ラウンドのみ、ボリショイの本館で行われます。私はだいぶ前からチケットをチェックし、売り出しとともに購入!
1500ルーブル 約3000円の席を選びました。高い席ではありませんでしたが、とても見やすかったです。
日本でもニュースになりましたが、日本人ダンサーが2人、金賞をとりました。
シニアの部、大川航矢さん。ジュニアの部、千野円句さん。
シニアの金賞は1993年以来、ジュニアは2001年以来の快挙だそうです。
そして、大川さんとペアで踊った寺田翠さんも3位入賞しました。
大川さんと、寺田さんの演技は、本当に凄かった!
(私はバレエ素人なので、専門的なことは言えません。もっと知りたいので、なるべく色々な演目を観に行くようにしています。バレエとコンサートの為に働いていると言っても過言ではありません!)
お2人の演技は、なんと言うか、もっともっと観たい!えー、終わっちゃうのー!と思わせる演技でした。
大川さんの、跳んだら降りてこないジャンプのダイナミックさと正確さに、演技の途中から拍手が沸き起こります。
寺田さんの演技も、華奢な体でキリリと踊る姿が何とも素敵でした。途中で片手を上げるバランスの難しいフェッテ:Fouette(簡単に言うと、片足でぐーるぐる回るあれです)や、大川さんとの息の合った演技が素晴らしかったです。
隣のロシアおばちゃん達も、信じられないわ!などと言っていました。
私は日本人だというのに、ワーオ!と叫んでしまった…。
そして、この上なく誇らしかったです。
このペアだけでしたね、舞台からはけた後も拍手が鳴り止まずに、もう1度挨拶に出て来たのは。
観客も目が肥えているので、拍手の大きさの差が顕著です。
ロシアが誇るダンサー、スベトラーナ・ザハロワさんも絶賛していたと聞きました。
ちなみに、日本人以外では、カザフスタンの男性ダンサーで、ソロの金賞を獲得したБактияр Адамжан (読み方に自信がありませんが、バクチャール アダムジャンさん?間違っていたらごめんなさい。)さんの演技が好きでした。
大川さんと、Бактиярさんが金賞に違いない!と、素人ながら思っていました。Бактиярさんは、サテン生地でバンダナを巻いた、往年の「光GENJI」さながらの衣装で私の度肝を抜きました。
(*念のため、光GENJIは、SMAPよりも先にデビューし、一世を風靡したスーパーアイドルグループです。)
「光GENJI・・・。」とつぶやき、その場でパンフレットに記入したものがこちら。
薄〜い鉛筆で書いたそのままお届けします。
彼もジャンプや思い切りのいい演技が素晴らしく、会場から大きな拍手が沸きました。
もう1度観たい!の演技です。
私は彼らのように、跳んだら降りてこないダンサーが好きです。
そして、栄光の裏には色々なドラマがあります。
ジゼルを踊った、ウクライナのソロの男性ダンサーは、2回演技する予定でしたが、1回目の演技のジャンプの着地で滑ってしまい、激しく転倒。そのまま足を引きづりながら退場しました。
けがをしてしまったのだと思います。2回目の演技はありませんでした。見ていてとても辛かったですが、観客はみんな、大きな拍手で彼の健闘を称えました。
一瞬のために気が遠くなるほど練習を重ね、一瞬も気を抜くことが許されない、とても厳しい世界だと思いました。
興奮さめやらず、長くなりそうですので、この辺で写真を紹介します。
審査員席のザハロワさん。左から6番目です。とても素敵でした。あまりきれいな画像じゃなくてすみません。
オーケストラの手前にずらっと並んでいらっしゃいます方々が審査員の皆さんです。
わかりますか?
そして、振り付け師で、現在ボリショイバレエ団のバレエマスターである、ユーリー・グリゴローヴィチさん!
「石の花」「スパルタクス」「ロミオとジュリエット」などを手掛けた凄い方です。
えーと、もちろん真ん中にいらしたような気がします。
ザハロワさんに気を取られて忘れてしまいました。
高めの席でしたので、オーケストラも見えますね。ボリショイ劇場はこんな感じです。
緞帳が上がる前の舞台とオーケストラ
豪華なシャンデリア
観客席 後ろのど真ん中に、こんな豪華な席があります。
もちろん全て、演技前に撮影しています。演技中は撮影禁止です。いや、撮影している人、必ず何人かいます。
もう、その時間がもったいない!当然肉眼で!
それから、コンサートやバレエを観に行って、うっかりさんの携帯が1度も鳴らなかった事は無い気がします・・・。
必ずいます。鳴らしちゃう人。とても残念ですが、携帯操作がままならないお婆ちゃんが多めなので許しちゃいます。
全て終了して、劇場を出たのは22時。
今は日が長ーいので、まだこんな明るさです。
夜歩くのも気持ちが良いです。
この辺りには、レストランやカフェが沢山あるので、
ブラブラしたい衝動にかられましたが、翌日も仕なので、
諦めて帰宅しました。
斜め左から
正面の広場には噴水があります。
この広場は、イベントの際に色々な雑貨や食べ物などの市場が出たりします。
遠目からのボリショイ劇場。きれいです。
どうですか?
モスクワに来たくなりませんか?
冬も良いですが、夏も気持ちが良いです。
バレエを観たい方は、7,8月はボリショイ劇場のダンサーのバレエは観られないので、確認を忘れずに!
英語バージョンのサイトです。
今確認したところ、7月16日から31日までのバレエは、他のバレエ団の公演ですね。
その後ボリショイバレエが観られるのは9月です。
9月は、「白鳥の湖」「ドン・キホーテ」「パリの炎」の予定が入っているようです。
またの機会に、今まで観たバレエの演目の紹介も出来たらと思います。
では、また今度。
ガガーリンさんの話
4月と言えば…
そう、ユーリィ・ガガーリンさんが有人宇宙飛行を成功させたのは、1961年4月12日。
ロシアに来るまで私は、
ガガーリンさんを、面白い名前の人だな、くらいにしか思っていませんでした。すみません。
歴史年号をまるで覚えられない私が、今ではガガーリンさんが宇宙に旅立った年月日が言える…
これは凄いことです。
そびえ立つガガーリンさん
私が仕事の帰りに通る、
Площади Гагарина ガガーリン広場
にいらっしゃるガガーリンさんです。
今にも飛び立ちそうですね。
彼は3000人の中から選ばれ、時の人になりました。田舎の労働者階級出身であることも1つ、そして、過酷な状況でも笑顔でいられる、それも決め手の1つだったそうです。
それにしても、無重力状態で人間が耐えられるか分からなかったあの時代、どんな思いで挑戦したのか、計り知れません。
Поехали!
さあ、行こう!
と言って、彼は旅立ちました。
108分の宇宙の旅。
無事に生還しましたが、彼の成し得たことは偉大すぎて、その重圧はあまりに大きかった。
苦悩のあまりアルコールに溺れた日々。そして34歳の時、飛行訓練中の事故で亡くなったと言われています。
最近見たDVD
「ガガーリン 世界を変えた108分」
の特典映像で、訓練を共にした仲間達の話を聞いて、優秀なだけでなく、コミュニケーション能力が高く、人望の厚い、真っ直ぐな人だったのだと知りました。
そして、ガガーリンが地球に帰還した後の人生、そして彼の陰に隠れた優秀なパイロット達の人生にも興味がわきました。
というわけで、
去年誘われるがまま、ちんぷんかんぷんのまま行った、「宇宙飛行士博物館」に、改めて行こうと思っています。
また新しい発見があったら、記録しようと思います。
なっちゃんの話 ーモスクワで語学交換ー
私には、語学交換をしているお友達がいます。
大学で、通訳になるべく日本語を勉強しているロシア人女子大生のなっちゃん。
名前に”ナ”がつくので、なっちゃん。
とても可愛い!
そして、頑張り屋さん!
私たちは、ちょうど一年前くらいに出会いました。
今も話せませんが、私がロシア語を全然話せなかった頃です。
うちの教育係(夫)が、日本語学部のある大学に、
語学交換しませんか!?
の、メールを送ったのがきっかけ。
そこの先生が、自分のクラスの生徒に伝えたようです。
で、なっちゃんだけが連絡をくれました。
そう、頑張り屋さんだから。
初めは、意思疎通もかなり大変でした。
歳もビックリするほど離れてるし。
テーマを決めて話そうか、とか、色々やっているうちに、お互いの勉強で、わからないところを聞き合う事で落ち着きました。
初めは月1回くらいのペースで緊張しながら会いましたが、今年に入ってから、かなりリズムも合ってきて、月に3回くらい会うようになりました。
私は上達しませんが、なっちゃんはメキメキ上達しています。
特に、漢字の美しいこと!
これ、左上の一文字だけ私ので、あとはなっちゃんの書いた漢字。
とても丁寧に、一文字ひともじ書いてあります。
せっかくこうやって、会っているのだから、私も上達しないと申し訳ないのですが、これがなかなか。
ついつい、可愛いなっちゃんのお手伝いに時間を割いてしまいます。
そして、おとぼけミスをしたら、
「なっちゃん、それだと、こういうことになっちゃうよ〜。」
と、ジェスチャーやらで教えたりして、2人でゲーラゲラ笑ったりして、なっちゃんがウケた事に満足してしまいます。
なっちゃんを笑わせる能力だけが、メキメキ上達していきます…。
メキメキの使い道を間違えています。
そして、はたちの女子大生の学ぶ姿勢を見て、日々学ぶ私です…。
最近私が忙しいやら、具合が悪いやらでなかなか会えないのですが、いつも優しく待っていてくれるなっちゃん、これからもどうぞよろしく。
モスクワの美味しいパン事情
こんにちは。
久しぶりに書いています。
頭の中では、もう何件もの記事を完成させていますが、やる事が多いのと、要領の悪さから、文章を書く時間をなかなか捻出できません…。
さて、今日はモスクワのパン事情。
ロシアでは、黒パンがわりと好まれますね。これは普通にスーパーで買えますが、黒パンの良し悪しが、まだ分かりません…。
日本の皆さん、
コンビニで買える、あの安くて美味しい菓子パンや、おかずパン。
本当に有り難かったのだと、今は心底思います。
それに、日本には本格的なパン屋も沢山ありますよね。
今や、パン王国フランスでも、約80%近くのお店で冷凍パンを使用していると言います。
クロワッサンの形があまりに揃っていたり、バゲット裏にブツブツと小さな丸の羅列された模様がついていたらほぼ冷凍パンです。
ある有名なフランス系チェーン店でも冷凍ものを使っていると聞きました。
味はそこそこ美味しいですけどね。
私も昨年パリに行った時、お店を慎重に選んだにもかかわらず、何度か冷凍クロワッサンに当たってしまいました。
そして、ここモスクワ。
モスクワでは、日本の様に、そこら中でクオリティの高いパンは買えません。
ですが、このパンは例外!
モスクワの南部にある、
жасмин ジャスミン という韓国料理屋さんのショップ。
韓国食材はもちろん、ここは手作りパンが人気。
私の好きなパンはコレ!
横向きでごめんなさい。
(確か150ルーブルくらい=約300円)
このテーブルロール、フワフワで、素朴で、懐かしい味にほっこり。
まさに手作りの味。
少しだけ温めて、何もつけずに頂くのが1番!
そして結構有名なこれ!
そう、あんぱん。
(確か105ルーブルくらい=約210円。)
これがまた、パンの柔らかいこと。
そっと持って帰らなくては、他のものにすぐに押しつぶされてしまいますから注意して持ち帰りましょう。
それから、日本人にはたまらないこれ!
そう、大福…♡
(確か95ルーブルくらい=約200円)
パンではありませんがこれが好き。
これも、もう持ったら、テローンとなりそうなほど、お餅がやわやわ。
緑茶と一緒にいただきました。
あんこもちょうど良い甘さ。
そして、よく見たら、パッケージがミスプリントで逆。
それもまた愛らしい。
この他にも、食パンにカレーパン、ツイストドーナツなどのおかずパンや菓子パンが沢山あって、迷ってしまいます。
ホールケーキやロールケーキもあります。
今回購入したパンを並べてみました…♡
ああ、このお店が近くだったら…。
職場から、バスで20分程。
家からは1時間半はかかるので、たまにしか行けません。
でも、それもまた良し。
そして、ここの韓国人のご主人、とても親切に色々教えてくれたり、勧めてくれたりします。
また近々お友達とここの韓国料理を食べに行く予定なので、パンのまとめ買いをしようと思っています。
それから、ここの韓国料理もとても美味しい!
それについては、また今度。
モスクワの薬局事情
しばらく風邪でダウンしておりました。
生まれて初めて39度の熱が出て、あまりの辛さに心身ともにやられてしまいました。
そして最近やっと復活しました!
日本では、風邪をひいたら他の人に移さないようにマスクをしますよね?
でも、ロシア、フランス共に、みんな風邪をひいてもほとんどの人がマスクをしません。
なので、マスクをしていようものなら、
この人いったい何の病気?という発想になります。
不本意ですが、私もオフィスではマスクをしますが、外ではしないようにしています…。
さて、今回の「風邪」。
恐らく、「インフルエンザ」でした。
なぜ、恐らく…なのか。
それは、病院に行っていないからわからないのです。
生まれてこのかた、インフルエンザはもちろん、38.3度以上の熱を出した事が無いので、39度の熱なんて、悪夢のようでした。
インフルエンザかも…
と思いましたが、
熱が出た時1人だったのと、高熱で動けず、とても病院になど行けませんでした。
しかし、処方箋無しでタミフルが薬局で買える!という情報をゲットし、少しだけ落ち着いた時にふらふらと、徒歩1分の薬局へ。
夜中だったので、小窓からアジア系の優しそうな薬剤師のおじさんが顔を出し、
「何が必要ですか?」
と聞きました。
私はありったけのロシア語で、
「熱が39度あります…」(泣きそう)
「так(タック)?」
=「はい、それから?」
「喉が痛いです…」(息も絶えだえ)
「так(タック)?」
「多分、インフルエンザだと思う…」
「ok どうぞ」
と、中に入れてくれました。
「タミフルありますか…?」
「はい、ありますよ。」
と、簡単に引き出しから出てきました。
「私はロシア語が話せません。薬の飲み方を説明して下さい。」
と、たどたどしく、必死に伝えると、
「大丈夫、ちゃんと話せてるよ!」
とおじさん。
この人は天使だと思いました。
そして、飲み方を説明してくれますが、一箇所だけわからない部分が。
2人でジェスチャーやら、あれこれやっていると、若い男性のお客さんがはいってきました。
見るに見かねて、私に
「英語わかる?」
と。
「はい、少し。」
答えると、そのお兄さんが、
英語で説明してくれて、問題解決。
このお兄さんも天使だと思いました。
ちなみに、タミフル5日分で、
日本円にして2800円位。
受診料無しですから、それ程高く無いですよね。
助かりました。
その後、おじさんは喉の痛みの為に、
お湯に溶かして飲むパウダーをオススメしてくれたので、それも買いました。
おじさんとお兄さんに、
丁寧にお礼を言って帰宅しました。
そして、おじさんのいう通りに薬を服用。完全な回復までには1週間以上も時間がかかりましたが、お陰様で回復できました。
ロシア人の皆さんは、
こんな風にとても優しいです。
初めてのインフルエンザをモスクワで…。
皆さんの優しさが身に沁みました。
ちなみに、普段薬局で買うもの。
先輩に教わった、喉や免疫の回復に有効だというエキナセアというハーブも、日頃から愛用しています。
疲労が続く方、ぜひお試し下さい。
舐めて溶かすタブレットタイプなので、簡単にいつでもどこでも服用できます。
皆様、体力をつけて、体調にはには気をつけましょうね!
山本との日々
たまにはフランスの話を。
そして、(前回の続き)
フランス語を思い出すべく、大好きなフランスの映画を観たわけです。
それは、
「最強のふたり」
その映画には、アフリカ系フランス人の俳優さんが出ています。
背が高くガッチリと、筋肉がついた身体つき、そして、ユーモアのある独特なフランス語の話し方、声、愛嬌のある笑顔…。
ん?この人知ってる気がする…。
誰だ?
あ、山本!
そう、それは12年前、
ワーキングホリデービザで、フランスに1年住んでいた時に、
パリのフランス料理レストランで一緒に働いていた、山本にそっくり!
声や話し方なんて、もう山本そのもの!
懐かしくて泣きそうになりました。
世の中には、よく似た人がいるもんですね。
山本はマリ出身の生粋のアフリカ人です。もちろん私達は下の名前で呼んでいましたが、一般人なので一応ここでは伏せておきます。
ただ、山本は日本人と仕事をするうちに、"山本"という苗字を気に入って、名乗っていたので、今回は山本でいきます。
初対面で、
「moi(俺) やまもと!」
と言われました…。
山本は、人懐こくて、いい奴でした。
山本は洗い場担当で、その他、ナフキンの洗濯や、ジビエの季節にはイヤイヤ鴨や鳩の羽もぎまでやっていました。
私達2人は洗濯物担当。
地下のワインセラーの奥の洞窟のような洗濯場で、いつも2人でナフキンをアイロンがけしながら、愚痴をこぼし合ったり、ふざけて遊んだり。
時にはフランス語で喧嘩までしました。
初めはフランス語がほとんど話せなかったのに…。
普段、おとなしくて優しい(と思われていた)私が、カンカンに怒って山本との喧嘩しているのを見て、
「あのいつも優しいミチが怒ってる…」
と、
皆んなが唖然としていたっけ。
私が、正しくはないけど、
ある程度話せるようになったのは、
泣いたり笑ったり怒ったりしながら、
一緒にいた山本のお陰かも知れないな。
映画を観て、今はパパになった山本に会いたくなったので、もう一回観ました。
山本、元気かな。
ここに山本はいないけれど、
今、モスクワで私のロシア語を上達させるべく、一緒に頑張ってくれているのは、可愛い可愛いロシア人女子大生のなっちゃん(仮名)。
その話は、次回に。
ロシア語で考える…。
前回もロシア語について書きましたが、最近、ロシア語に触れる機会を意識的に増やしています。
なぜなら、もう1年も住んでいるのに、
上達していないから!
でも、先週のこと。
おや?
気付いたら、
簡単な文章はロシア語で考えるようになっています。
ロシア語に沢山触れたあとは特に。
これはいい傾向だな、と嬉しく思いました。
しかし…
その代償は大きく。
今度は、フランス語で考えるときに、
それは発覚しました。
あら?
「私達…」ってなんだっけ?
「Мы (ムィ:ロシア語で私達)」
じゃなくて、フランス語で…
「Мы....」
違う、せーの、
「Мы....」
「Мы!」
もう、こうなったら出て来ません!
フランス語で、私達 は、
nous(ヌ) です。
10回目くらいで辿り着きました。
どうやらロシア語が入ると、フランス語が出て行く仕組みになっているようです…。
その仕組みに逆らうべく、
フランス語の映画を見はじめました…。
でも次は、ロシア語で夢を見る日が来るのが楽しみです。
初めてフランス語で、夢を見た日のように!